「暑い~」
「久美子、それさっきも聞いた」
「う~、麗奈はなんでいつも涼しげなの」
「私だって暑いと思ってるわよ。ただ言っても仕方ないじゃない」
「それが涼しげに見える秘訣かぁ」
「別に秘訣って言うほどのものでもないでしょ」
夏休みも終わりに近づいているというのに、朝の日差しは今日も暑い一日になることを予感させていた。電車から降りただけで、すぐにじわりと汗がにじんでくる。学校まで歩くだけでも一仕事である。
「麗奈は夏バテとかしなさそうだよねぇ」
「夏バテなの?」
「うーん、夏バテというほどではないけど、食欲は落ちてるかも?」
「ちゃんと食べないとダメでしょ」
「も~お母さんみたいなこと言わないでよ」
ややけだるげに歩く久美子とは対照的に麗奈の足取りはしっかりとしている。
「しっかり食べないといい演奏はできないでしょ」
「音楽に結びつけるのが麗奈らしいね」
「久美子を心配して言ってるの」
「はいはい、ありがと」
茶化した返事に麗奈は「もう!」とむくれたあと、「そんなに食べてないの?」と心配そうに久美子の顔を覗き込む。
「いや、食べてるよ?そうめんとか、そうめんとか、あとはそうめん」
「そうめんばかりじゃない」
「さすがに飽きてはきてるんだけどね」
「そう……」
「……めん?」
久美子の返しに麗奈は「ばかじゃないの?」と呆れる。久美子は吹き出し、麗奈もつられて二人で笑った。
そうこうしているうちに二人は学校に着いた。朝早いため校舎の窓はほとんど開けられておらず、湿気を孕んだ空気が室内に居座っていた。日差しとはまた異なるじっとりとした暑さが二人を出迎えた。職員室に入り滝を尋ねると「鍵は鎧塚さんにお渡ししましたよ」と返事が返ってきた。サマーセーターベストを着てコーヒーを啜る滝を、久美子が信じられない目で見ていたのは余談である。
「おはようございます」
いつものように先に登校していたみぞれに久美子たちが挨拶をすると、いつもは頷くだけのみぞれが珍しく話しかけてきた。
「黄前さんは、そうめん、好き?」
「うえ?また唐突ですね、そうめんですか……」
久美子は面食らいながらも質問に答える。
「うーん、好きかどうかと言われると、コレしかないから食べるっていうか、なんというか……」
「そう……」
分かりやすくみぞれのテンションが下がる。どうやら久美子の答えはみぞれを満足させるものではなかったらしい。
「うああ!好きです!大好きですよ!」
みぞれの落ち込む様子を見て、久美子は咄嗟に思ってもいないことを口にする。隣では麗奈が半眼のままじっとりとした目で久美子を見ている。
「ほん、と?」
みぞれはぱぁっと顔を明るくさせた。そのあまりにも素直な反応に「うっ」と久美子は一瞬言葉を詰まらせてから、「も〜、毎日食べてますよー」と自分の感情を誤魔化すように久美子は笑った。一応、これは嘘ではないのだが、隣にいる麗奈の視線が痛い……ような気がする。
「今度、家で流しそうめんするの、来る……?」
「え?流しそうめんですか?」
久美子はみぞれが流しそうめんを楽しんでいる姿があまり想像できなかった。普段のみぞれの姿からして、家では大事に育てられているのだろうとは分かるのだが。久美子はなんとなく、みぞれの祖父母がテキパキと流しそうめんの準備をして、そうめんを食べているみぞれに「おいしい?」とにこにこしながら訊ねている姿を思い浮かべた。
「あ~、鎧塚先輩のお家だと本格的なんでしょうね。私の家はちっちゃい機械を母が買ってきて、一回使ってそれきりですよ〜」
「小さい、機械?」
こてん、とみぞれは首をかしげる。
「ご存知ないですか?コレくらいのやつなんですけど」
久美子はジェスチャーで大きさを伝える。
「見て、みたい!」
それを聞いてみぞれは目を輝かせた。普段の態度からは想像できない食いつきぶりに久美子は戸惑いながら「あ~、それはいいんですけど、ほんっとに期待しないでくださいね?」と釘を刺した。
「うううん、大丈夫!それで、家に来てくれる……?」
元気よく返事したかと思えば、後半はまた自信なさげな様子でみぞれは訊ねる。
「ぜ、ぜひ!お願いします!」
「あの、私もいいんですか?」
麗奈が訊ねると、みぞれは不思議そうな顔で答えた。
「最初から二人を誘ったつもり、だめだった?」
「いえ、そんなことないです。お誘いいただいて嬉しいです」
「良かった、楽しみにしてる」
にこにこと笑うみぞれの顔を見て、久美子と麗奈は顔を見合わせた。
「久美子ちゃ〜ん!」
「あ、希美先輩!お疲れ様です〜」
「さっきみぞれと楽しそうに話してたね〜」
希美は「うりうり~」と言いながら久美子の両頬を軽くつねる。
「ちょっ、からかわないでくだひゃい、やめへくだひゃい」
「あはは!ごめんごめん」
そう言うと希美は手を離した。「もぉ~」と言いながら久美子は両頬をさする。
「聞いていらしたんですか?」
「うん、ちょ~っとだけね?」
希美は指で隙間を作ってみせた。「それでね」と頬をかきながら上目遣いで続ける。
「久美子ちゃん、みぞれに「大好きです」って言ってたよね?なんの話してたのかなぁって気になっちゃって」
久美子は息をひゅっと吸い込んだ。ここは誤解を解いておかなければまずい気がする。
「あ~、そうめんが好きかどうか聞かれたんです。そうめんが!」
「なんだぁ、そうだったのか!みぞれが楽しそうに話しているのが珍しくて気になっちゃって!ごめんね、盗み聞きした内容を訊ねるようなマネしちゃって」
「いえいえ、全然~」
「そうめんかぁ、こう暑いと食べるものも限られてくるよねぇ」
どうやら誤解は解けたらしいと久美子は安心した。
「私の家もずっとそうめん続きですよ」
「あはは!久美子ちゃんの家もか!私も一緒!おいしいんだけどずっと続くとさすがにね」
「希美先輩もですか!味変とか食べ方工夫しないと飽きちゃいますよね」
「そうそう、流しそうめんとか、ね」
「え……」
校舎の暑さに慣れて引いていたはずの汗が、久美子の額に浮かぶ。
「あの、それは……?」
「え?」
「あははは!そうか久美子ちゃんも誘われていたのか!」
「もぉ~なんで希美先輩あんな意味ありげな言い方するんですか……」
久美子が堪らず、みぞれに流しそうめんに誘われた経緯を説明すると、希美はお腹を抱えて笑った。
「ごめんごめん!ちょっとからかいたくなっちゃって!」
「別にいいですけど……」
はぁ、と久美子はため息をついて見せる。希美はまだ笑いが収まらない様子だ。
「いやぁ、でも珍しいよねぇ、みぞれが家に人を呼ぶなんてさ」
「希美先輩はあまり行かれたことないんですか」
「う~ん、あんまりないかな?優子の家とかはよく遊びに行ったりしてるけどね」
「そうなんですね」
「うん。でも、流しそうめんははじめてかも。どんな感じなんだろうね?楽しみだな~」
「そうですね」
心底楽しそうにしている希美の様子を見て、久美子はふと思い浮かんだ疑問を口にする。
「あの……」
「うん?どうした?」
「流しそうめんに誘われているのって、希美先輩の他にも――」
「ちょっと!黄前!」
「ひゃ、ひゃいっ!」
優子に話しかけられて裏返った声で返事をしながらも「今日はつくづく先輩に話しかけられる日だな」と、久美子は頭の片隅で考えていた。
「あんた、みぞれに家に誘われたんだって?」
「は、はぃい……」
「~~~!私も誘われたことないのにぃ!」
地団太を踏む、とはこういう時のためにある言葉なのだろう。分かりやすく優子は悔しがった。
「そりゃあ、誰かさんとは違って、黄前ちゃんは人望があるからねぇ」
優子の後ろからひょっこりと夏紀が顔をのぞかせる。
「はぁああ?デリカシーのない人に言われたくないんですけど?」
「そうやって突っかかってくるのあんたこそデリカシーがないんじゃない?」
ぷぷぷ、と口に手を当てて夏紀が言い返す。
「うっさい!」
「そんな態度でいるから、みぞれに誘ってもらえないんじゃない?」
「はぁ?どういうことよ?」
「おやおや?まだ優子サンはお誘いされていない?」
そう言うと夏紀は久美子の肩を引き寄せる。
「ワタクシたち、みぞれ様よりパーティへのご招待にあずかりまして」
「えっ」と優子が固まった。
「じゃあ、うちらだけで楽しもうか!黄前ちゃん?」
「あ、あのぉ……」
気まずさで身の置き場のない久美子の肩を掴んだまま夏紀は歩き出す。
「ま、待ちなさいよ!そんなこと、そんなこと……」
我に返った優子がわなわなと震えだす。今にも泣きだしそうな様子だ。
「あ、そうそう」
夏紀が足を止め、優子を振り返る。
「みぞれが今日の練習終わりに、あんたに大事な話があるんだってさ」
ぽかんと口を開けた優子を尻目に、
「じゃ、いこっか黄前ちゃん」
そう言って夏紀は再び歩き出した。
*
「でっか!」
「久美子、言葉遣い」
「でかくない?」
「言葉遣い」
「……大きくない?」
「まぁ、大きいかも?」
鎧塚家のパーティ……もとい、流しそうめん会の当日、久美子と麗奈はみぞれの家の前で立ち尽くしていた。久美子は地図アプリの表示されたスマホの画面と目の前の家とを何度も見比べる。正確に言えば、二人の目の前にあるのは家ではなく、長屋門であった。この門にたどり着くまでずっと同じ塀が続いていたことを久美子は思い出し、その敷地の広さに唖然とした。
「これ、チャイム鳴らしていいのかな」
「いいも何も、鳴らさないと入れないでしょ」
麗奈に背中を押されて久美子はおそるおそるインターホンのボタンを押した。メロディが鳴ってからしばらくして「はい」と高齢の女性の穏やかな声がした。
「あ、あのっ!黄前久美子と申します。鎧塚みぞれさんにお招きいただきまして……」
「あら、みぞれのお友達ね、どうぞお入りくださいな」
通話を終えると二人は門をくぐった。門を入って少し歩くと入母屋屋根の母屋が目に入ってきた。
「でっか!」
思わずそう口にした久美子に麗奈は「……もう突っ込まないから」と呟いた。
家の庭先には竹で組まれた複数の三脚の上に、5メートルほどの半分に割られた竹が、傾斜をつけて置かれていた。縁側にはみぞれと、先に来ていた夏紀、優子、希美の姿があった。
「すいません~遅れてしまって」
そう言いながら走り寄る久美子と麗奈に、四人がそれぞれ「おつかれ~」と声をかける。
「あの、鎧塚先輩、ご家族の方にご挨拶を……」
「あ、私も……」
そう言いながら麗奈と久美子が手土産の入った袋を掲げると、みぞれはふるふると頭を横に振った。
「いい、誘ったのは、私だから」
「いえ、そういうわけには」
「ほんとに、貰えない」
戸惑う二人と頑なに断るみぞれを見かねて優子が口を開く。
「みぞれ、気持ちはわかるけれど、貰っておきな」
その言葉を聞いて、みぞれは小さな声で「ありがとう」と言って、ようやく二人の手土産を受け取った。「部屋に置いてくる」とみぞれが家の中へ入っていくのを見届けて、優子が久美子と麗奈に話しかけた。
「悪く思わないであげてね。私たちも来た時にご家族に挨拶をしたんだけど、『あの子と仲良くして貰ってるだけで十分ありがたく思っているから、挨拶とかお土産とかお気遣いはいいのよ』って言われちゃってねぇ」
久美子はインターホンで聞いた穏やかな女性の声を思い出した。僅かな言葉しか交わしていないが、優子が伝えたその言葉は、あの声の主が発した言葉そのままなのだろうなと素直に思えた。「それにね」と優子は続ける。
「『家の者が前に出てくると、みなさんにもいろいろと気を使わせてしまうだろうから。愛想ができなくてごめんなさいね』とも言われたの。だから、まぁ、つまり、みぞれもご家族の方も、あんたたちが来て十分喜んでるってことよ」
「あんたが言う話でもないけどね」
横で聞いていた夏紀が茶々を入れる。
「うるさいわね!」
条件反射のように優子は言い返すが、夏紀はまったく堪えた様子もない。「まったく」と呟いてから優子は気を取り直してみんなに声をかける。
「さ、みぞれが戻ってきたら早速はじめましょうか!」
「それじゃあいくよ~」
希美が元気のいい掛け声とともに、ざるに入った一口分のそうめんを投下する。
「わっ、わっ!」
「久美子、鈍すぎ」
想像していたよりも流れが速く、思いのほか掴めない。久美子より下流にいた麗奈はそうめんをさっと箸で掴み、めん猪口のだしに潜らせてするりと平らげた。「ごちそうさまです」とまで言う余裕ぶりだ。
「うぅ~麗奈は下流だからタイミングが掴めるんだよ」
「へぇ?じゃあ交代する?」
「ふふん、鈍いと言ったこと、取り消してもらおうか」
「上等」
位置を変えて再度挑む。希美が掛け声とともに再びめんを投下する。
「あっ、ちょっと!待って!」
「ふふ、めんに話しかけてる……あっ!」
麗奈の慌てる姿に気を取られ、久美子も掴むタイミングを逃してしまった。
「……鈍すぎ」
「いや、久美子に言う権利ないから」
二人が逃したそうめんはさらに下流で別の騒動を生み出していた。
「あ!ちょっと!そんなに取ったら私の食べる分がないじゃない!」
「ボサッとしてるからでしょ?」
優子が噛みつくのを横目に夏紀はそうめんを啜る。
「大体、なんであんたが私より上流にいるのよ!譲りなさいよ!」
「ダメです~、早い者勝ちです~」
「あのぉ~二人とも喧嘩している間に流れていくんだけど」
希美がツッコミを入れるが二人は聞いていない。
「まぁまぁ、お二人とも、流しそうめんだけに水に流して……なんちゃって……」
「なにそれ」
「うぅ、麗奈に言われると恥ずかしいよ」
「あはは!あの二人まったく聞いていないねぇ」
希美が久美子と麗奈の会話に加わる。
「いやぁ聞かれていないのがいいのやら、悪いのやら……」
「まぁ、あの二人が平和に流しそうめんができるわけないよね」
「ですねぇ」
「二人が取り損ねても、私が食べるから、平気」
「お、みぞれは食べられてる?」
「うん、一番下にいても流れてきた」
「漁夫の利ってやつですかね」
「久美子、多分、違うと思う。言いたいことは分かるけど」
「あ、そうだ!忘れてました!」
久美子はそう言って荷物を置いていた縁側に駆け寄り、鞄から流しそうめん機を取り出した。麗奈、希美、みぞれの三人も久美子に近づいてきた。流しそうめん機は水色の透明なプラスチックでできた楕円形の容器で、中心部のモーターと電池ボックスを覆うようにデザインされた氷の上にペンギンがちょこんと載っている。
「よくこんな大きさのものを忘れていたわね」
麗奈は呆れた、と言わんばかりに突っ込む。
「いやぁ、鎧塚先輩のお家の大きさにびっくりしてすっかり忘れてたよ」
えへへ、と久美子は笑う。
「えぇと、水を入れて、スイッチはここだったかな?」
久美子がペンギンを押すとフィイイン、とモーターの音がして水が流れ始める。
「おー」と麗奈、希美、みぞれが声を上げる。
「かわいいねぇ、みぞれ」
「……うん、すごく、かわいい」
みぞれは流しそうめん機にすっかり見入っている。
「よければ、これ使ってください」
「いい、の?」
「もちろんです」
「ありがとう」
嬉しそうにみぞれは久美子に微笑むと、流しそうめん機のペンギンを指でつん、と突いた。後ろでは夏紀と優子の言い合いがまだ続いていた。
「お、ヒグラシが鳴いてるね」
希美がぽつりと呟いた。
「久美子、それさっきも聞いた」
「う~、麗奈はなんでいつも涼しげなの」
「私だって暑いと思ってるわよ。ただ言っても仕方ないじゃない」
「それが涼しげに見える秘訣かぁ」
「別に秘訣って言うほどのものでもないでしょ」
夏休みも終わりに近づいているというのに、朝の日差しは今日も暑い一日になることを予感させていた。電車から降りただけで、すぐにじわりと汗がにじんでくる。学校まで歩くだけでも一仕事である。
「麗奈は夏バテとかしなさそうだよねぇ」
「夏バテなの?」
「うーん、夏バテというほどではないけど、食欲は落ちてるかも?」
「ちゃんと食べないとダメでしょ」
「も~お母さんみたいなこと言わないでよ」
ややけだるげに歩く久美子とは対照的に麗奈の足取りはしっかりとしている。
「しっかり食べないといい演奏はできないでしょ」
「音楽に結びつけるのが麗奈らしいね」
「久美子を心配して言ってるの」
「はいはい、ありがと」
茶化した返事に麗奈は「もう!」とむくれたあと、「そんなに食べてないの?」と心配そうに久美子の顔を覗き込む。
「いや、食べてるよ?そうめんとか、そうめんとか、あとはそうめん」
「そうめんばかりじゃない」
「さすがに飽きてはきてるんだけどね」
「そう……」
「……めん?」
久美子の返しに麗奈は「ばかじゃないの?」と呆れる。久美子は吹き出し、麗奈もつられて二人で笑った。
そうこうしているうちに二人は学校に着いた。朝早いため校舎の窓はほとんど開けられておらず、湿気を孕んだ空気が室内に居座っていた。日差しとはまた異なるじっとりとした暑さが二人を出迎えた。職員室に入り滝を尋ねると「鍵は鎧塚さんにお渡ししましたよ」と返事が返ってきた。サマーセーターベストを着てコーヒーを啜る滝を、久美子が信じられない目で見ていたのは余談である。
「おはようございます」
いつものように先に登校していたみぞれに久美子たちが挨拶をすると、いつもは頷くだけのみぞれが珍しく話しかけてきた。
「黄前さんは、そうめん、好き?」
「うえ?また唐突ですね、そうめんですか……」
久美子は面食らいながらも質問に答える。
「うーん、好きかどうかと言われると、コレしかないから食べるっていうか、なんというか……」
「そう……」
分かりやすくみぞれのテンションが下がる。どうやら久美子の答えはみぞれを満足させるものではなかったらしい。
「うああ!好きです!大好きですよ!」
みぞれの落ち込む様子を見て、久美子は咄嗟に思ってもいないことを口にする。隣では麗奈が半眼のままじっとりとした目で久美子を見ている。
「ほん、と?」
みぞれはぱぁっと顔を明るくさせた。そのあまりにも素直な反応に「うっ」と久美子は一瞬言葉を詰まらせてから、「も〜、毎日食べてますよー」と自分の感情を誤魔化すように久美子は笑った。一応、これは嘘ではないのだが、隣にいる麗奈の視線が痛い……ような気がする。
「今度、家で流しそうめんするの、来る……?」
「え?流しそうめんですか?」
久美子はみぞれが流しそうめんを楽しんでいる姿があまり想像できなかった。普段のみぞれの姿からして、家では大事に育てられているのだろうとは分かるのだが。久美子はなんとなく、みぞれの祖父母がテキパキと流しそうめんの準備をして、そうめんを食べているみぞれに「おいしい?」とにこにこしながら訊ねている姿を思い浮かべた。
「あ~、鎧塚先輩のお家だと本格的なんでしょうね。私の家はちっちゃい機械を母が買ってきて、一回使ってそれきりですよ〜」
「小さい、機械?」
こてん、とみぞれは首をかしげる。
「ご存知ないですか?コレくらいのやつなんですけど」
久美子はジェスチャーで大きさを伝える。
「見て、みたい!」
それを聞いてみぞれは目を輝かせた。普段の態度からは想像できない食いつきぶりに久美子は戸惑いながら「あ~、それはいいんですけど、ほんっとに期待しないでくださいね?」と釘を刺した。
「うううん、大丈夫!それで、家に来てくれる……?」
元気よく返事したかと思えば、後半はまた自信なさげな様子でみぞれは訊ねる。
「ぜ、ぜひ!お願いします!」
「あの、私もいいんですか?」
麗奈が訊ねると、みぞれは不思議そうな顔で答えた。
「最初から二人を誘ったつもり、だめだった?」
「いえ、そんなことないです。お誘いいただいて嬉しいです」
「良かった、楽しみにしてる」
にこにこと笑うみぞれの顔を見て、久美子と麗奈は顔を見合わせた。
「久美子ちゃ〜ん!」
「あ、希美先輩!お疲れ様です〜」
「さっきみぞれと楽しそうに話してたね〜」
希美は「うりうり~」と言いながら久美子の両頬を軽くつねる。
「ちょっ、からかわないでくだひゃい、やめへくだひゃい」
「あはは!ごめんごめん」
そう言うと希美は手を離した。「もぉ~」と言いながら久美子は両頬をさする。
「聞いていらしたんですか?」
「うん、ちょ~っとだけね?」
希美は指で隙間を作ってみせた。「それでね」と頬をかきながら上目遣いで続ける。
「久美子ちゃん、みぞれに「大好きです」って言ってたよね?なんの話してたのかなぁって気になっちゃって」
久美子は息をひゅっと吸い込んだ。ここは誤解を解いておかなければまずい気がする。
「あ~、そうめんが好きかどうか聞かれたんです。そうめんが!」
「なんだぁ、そうだったのか!みぞれが楽しそうに話しているのが珍しくて気になっちゃって!ごめんね、盗み聞きした内容を訊ねるようなマネしちゃって」
「いえいえ、全然~」
「そうめんかぁ、こう暑いと食べるものも限られてくるよねぇ」
どうやら誤解は解けたらしいと久美子は安心した。
「私の家もずっとそうめん続きですよ」
「あはは!久美子ちゃんの家もか!私も一緒!おいしいんだけどずっと続くとさすがにね」
「希美先輩もですか!味変とか食べ方工夫しないと飽きちゃいますよね」
「そうそう、流しそうめんとか、ね」
「え……」
校舎の暑さに慣れて引いていたはずの汗が、久美子の額に浮かぶ。
「あの、それは……?」
「え?」
「あははは!そうか久美子ちゃんも誘われていたのか!」
「もぉ~なんで希美先輩あんな意味ありげな言い方するんですか……」
久美子が堪らず、みぞれに流しそうめんに誘われた経緯を説明すると、希美はお腹を抱えて笑った。
「ごめんごめん!ちょっとからかいたくなっちゃって!」
「別にいいですけど……」
はぁ、と久美子はため息をついて見せる。希美はまだ笑いが収まらない様子だ。
「いやぁ、でも珍しいよねぇ、みぞれが家に人を呼ぶなんてさ」
「希美先輩はあまり行かれたことないんですか」
「う~ん、あんまりないかな?優子の家とかはよく遊びに行ったりしてるけどね」
「そうなんですね」
「うん。でも、流しそうめんははじめてかも。どんな感じなんだろうね?楽しみだな~」
「そうですね」
心底楽しそうにしている希美の様子を見て、久美子はふと思い浮かんだ疑問を口にする。
「あの……」
「うん?どうした?」
「流しそうめんに誘われているのって、希美先輩の他にも――」
「ちょっと!黄前!」
「ひゃ、ひゃいっ!」
優子に話しかけられて裏返った声で返事をしながらも「今日はつくづく先輩に話しかけられる日だな」と、久美子は頭の片隅で考えていた。
「あんた、みぞれに家に誘われたんだって?」
「は、はぃい……」
「~~~!私も誘われたことないのにぃ!」
地団太を踏む、とはこういう時のためにある言葉なのだろう。分かりやすく優子は悔しがった。
「そりゃあ、誰かさんとは違って、黄前ちゃんは人望があるからねぇ」
優子の後ろからひょっこりと夏紀が顔をのぞかせる。
「はぁああ?デリカシーのない人に言われたくないんですけど?」
「そうやって突っかかってくるのあんたこそデリカシーがないんじゃない?」
ぷぷぷ、と口に手を当てて夏紀が言い返す。
「うっさい!」
「そんな態度でいるから、みぞれに誘ってもらえないんじゃない?」
「はぁ?どういうことよ?」
「おやおや?まだ優子サンはお誘いされていない?」
そう言うと夏紀は久美子の肩を引き寄せる。
「ワタクシたち、みぞれ様よりパーティへのご招待にあずかりまして」
「えっ」と優子が固まった。
「じゃあ、うちらだけで楽しもうか!黄前ちゃん?」
「あ、あのぉ……」
気まずさで身の置き場のない久美子の肩を掴んだまま夏紀は歩き出す。
「ま、待ちなさいよ!そんなこと、そんなこと……」
我に返った優子がわなわなと震えだす。今にも泣きだしそうな様子だ。
「あ、そうそう」
夏紀が足を止め、優子を振り返る。
「みぞれが今日の練習終わりに、あんたに大事な話があるんだってさ」
ぽかんと口を開けた優子を尻目に、
「じゃ、いこっか黄前ちゃん」
そう言って夏紀は再び歩き出した。
*
「でっか!」
「久美子、言葉遣い」
「でかくない?」
「言葉遣い」
「……大きくない?」
「まぁ、大きいかも?」
鎧塚家のパーティ……もとい、流しそうめん会の当日、久美子と麗奈はみぞれの家の前で立ち尽くしていた。久美子は地図アプリの表示されたスマホの画面と目の前の家とを何度も見比べる。正確に言えば、二人の目の前にあるのは家ではなく、長屋門であった。この門にたどり着くまでずっと同じ塀が続いていたことを久美子は思い出し、その敷地の広さに唖然とした。
「これ、チャイム鳴らしていいのかな」
「いいも何も、鳴らさないと入れないでしょ」
麗奈に背中を押されて久美子はおそるおそるインターホンのボタンを押した。メロディが鳴ってからしばらくして「はい」と高齢の女性の穏やかな声がした。
「あ、あのっ!黄前久美子と申します。鎧塚みぞれさんにお招きいただきまして……」
「あら、みぞれのお友達ね、どうぞお入りくださいな」
通話を終えると二人は門をくぐった。門を入って少し歩くと入母屋屋根の母屋が目に入ってきた。
「でっか!」
思わずそう口にした久美子に麗奈は「……もう突っ込まないから」と呟いた。
家の庭先には竹で組まれた複数の三脚の上に、5メートルほどの半分に割られた竹が、傾斜をつけて置かれていた。縁側にはみぞれと、先に来ていた夏紀、優子、希美の姿があった。
「すいません~遅れてしまって」
そう言いながら走り寄る久美子と麗奈に、四人がそれぞれ「おつかれ~」と声をかける。
「あの、鎧塚先輩、ご家族の方にご挨拶を……」
「あ、私も……」
そう言いながら麗奈と久美子が手土産の入った袋を掲げると、みぞれはふるふると頭を横に振った。
「いい、誘ったのは、私だから」
「いえ、そういうわけには」
「ほんとに、貰えない」
戸惑う二人と頑なに断るみぞれを見かねて優子が口を開く。
「みぞれ、気持ちはわかるけれど、貰っておきな」
その言葉を聞いて、みぞれは小さな声で「ありがとう」と言って、ようやく二人の手土産を受け取った。「部屋に置いてくる」とみぞれが家の中へ入っていくのを見届けて、優子が久美子と麗奈に話しかけた。
「悪く思わないであげてね。私たちも来た時にご家族に挨拶をしたんだけど、『あの子と仲良くして貰ってるだけで十分ありがたく思っているから、挨拶とかお土産とかお気遣いはいいのよ』って言われちゃってねぇ」
久美子はインターホンで聞いた穏やかな女性の声を思い出した。僅かな言葉しか交わしていないが、優子が伝えたその言葉は、あの声の主が発した言葉そのままなのだろうなと素直に思えた。「それにね」と優子は続ける。
「『家の者が前に出てくると、みなさんにもいろいろと気を使わせてしまうだろうから。愛想ができなくてごめんなさいね』とも言われたの。だから、まぁ、つまり、みぞれもご家族の方も、あんたたちが来て十分喜んでるってことよ」
「あんたが言う話でもないけどね」
横で聞いていた夏紀が茶々を入れる。
「うるさいわね!」
条件反射のように優子は言い返すが、夏紀はまったく堪えた様子もない。「まったく」と呟いてから優子は気を取り直してみんなに声をかける。
「さ、みぞれが戻ってきたら早速はじめましょうか!」
「それじゃあいくよ~」
希美が元気のいい掛け声とともに、ざるに入った一口分のそうめんを投下する。
「わっ、わっ!」
「久美子、鈍すぎ」
想像していたよりも流れが速く、思いのほか掴めない。久美子より下流にいた麗奈はそうめんをさっと箸で掴み、めん猪口のだしに潜らせてするりと平らげた。「ごちそうさまです」とまで言う余裕ぶりだ。
「うぅ~麗奈は下流だからタイミングが掴めるんだよ」
「へぇ?じゃあ交代する?」
「ふふん、鈍いと言ったこと、取り消してもらおうか」
「上等」
位置を変えて再度挑む。希美が掛け声とともに再びめんを投下する。
「あっ、ちょっと!待って!」
「ふふ、めんに話しかけてる……あっ!」
麗奈の慌てる姿に気を取られ、久美子も掴むタイミングを逃してしまった。
「……鈍すぎ」
「いや、久美子に言う権利ないから」
二人が逃したそうめんはさらに下流で別の騒動を生み出していた。
「あ!ちょっと!そんなに取ったら私の食べる分がないじゃない!」
「ボサッとしてるからでしょ?」
優子が噛みつくのを横目に夏紀はそうめんを啜る。
「大体、なんであんたが私より上流にいるのよ!譲りなさいよ!」
「ダメです~、早い者勝ちです~」
「あのぉ~二人とも喧嘩している間に流れていくんだけど」
希美がツッコミを入れるが二人は聞いていない。
「まぁまぁ、お二人とも、流しそうめんだけに水に流して……なんちゃって……」
「なにそれ」
「うぅ、麗奈に言われると恥ずかしいよ」
「あはは!あの二人まったく聞いていないねぇ」
希美が久美子と麗奈の会話に加わる。
「いやぁ聞かれていないのがいいのやら、悪いのやら……」
「まぁ、あの二人が平和に流しそうめんができるわけないよね」
「ですねぇ」
「二人が取り損ねても、私が食べるから、平気」
「お、みぞれは食べられてる?」
「うん、一番下にいても流れてきた」
「漁夫の利ってやつですかね」
「久美子、多分、違うと思う。言いたいことは分かるけど」
「あ、そうだ!忘れてました!」
久美子はそう言って荷物を置いていた縁側に駆け寄り、鞄から流しそうめん機を取り出した。麗奈、希美、みぞれの三人も久美子に近づいてきた。流しそうめん機は水色の透明なプラスチックでできた楕円形の容器で、中心部のモーターと電池ボックスを覆うようにデザインされた氷の上にペンギンがちょこんと載っている。
「よくこんな大きさのものを忘れていたわね」
麗奈は呆れた、と言わんばかりに突っ込む。
「いやぁ、鎧塚先輩のお家の大きさにびっくりしてすっかり忘れてたよ」
えへへ、と久美子は笑う。
「えぇと、水を入れて、スイッチはここだったかな?」
久美子がペンギンを押すとフィイイン、とモーターの音がして水が流れ始める。
「おー」と麗奈、希美、みぞれが声を上げる。
「かわいいねぇ、みぞれ」
「……うん、すごく、かわいい」
みぞれは流しそうめん機にすっかり見入っている。
「よければ、これ使ってください」
「いい、の?」
「もちろんです」
「ありがとう」
嬉しそうにみぞれは久美子に微笑むと、流しそうめん機のペンギンを指でつん、と突いた。後ろでは夏紀と優子の言い合いがまだ続いていた。
「お、ヒグラシが鳴いてるね」
希美がぽつりと呟いた。
あとがき
XでFFさんが久美子がみぞれのお家に御呼ばれして、流しそうめんをしていたら……と呟かれているのを拝見して、触発されて書いてみました
夏紀はみぞれが優子を誘うのに背中を押してくれていそうな気がします